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明治時代の戦争を特集します
奉天会戦の概要
奉天会戦が起こった経緯、戦況、勝敗など。
日本軍約25万、ロシア軍約36.7万が激突するという世界戦史上でも有数の大規模会戦となった。
1905年(明治38年)3月1日、日本側から口火を切る。
奉天のロシア軍包囲を目的として、左翼の乃木希典率いる第三軍と奥保鞏率いる第二軍が、奉天の側面から背後へ向けて前進。
戦術の常識でいえば、数で劣る日本軍が包囲作戦を仕掛けるのは無謀であり、現在では敵全軍の包囲ではなく、敵の両端の部隊のみの包囲もしくは側面攻撃を狙っていたという説もある。
日本の包囲作戦に対しロシア軍は予備軍を投入。前進する第三軍に猛攻を仕掛ける。このことで主戦場は正面の第一軍から左翼の第三軍に徐々に移っていくこととなる。兵力で劣る乃木率いる第三軍は前進を止めることはなかったが、ほとんど崩壊寸前に追い込まれた。
このロシア有利の戦況下で、ロシア軍満州軍総司令官・クロパトキンの計算を狂わせたのは秋山好古率いる騎兵支隊であった。
第三軍管轄となっていた秋山支隊は騎兵を馬から降りて戦わせ、「勝つよりも負けない」防御戦を展開するなど活躍していたが、総司令部からロシア軍の補給ルートである奉天後方の鉄道遮断の命を帯びる。
実際には、目の前にロシアの大軍が展開しており、それを分け入って後方の鉄道を遮断するのは不可能であるため、秋山支隊3千は防御陣地を固めながら泥臭く漸進。
これがロシア側へは「奉天の後方20kmに秋山支隊進出。兵力6千」と伝わり、クロパトキンは狼狽。旅順攻略をした乃木率いる第三軍を過剰に恐れていたこともあり、戦況は依然としてロシア軍に有利であったが、3月9日クロパトキン大将は撤退を指示。日本軍は3月10日に奉天の占領には成功したが、講和への道筋をつけられる圧倒的勝利とはいかなかった。
関連する主な人物
階級や担当、功績を写真つきで紹介。
名前 | 担当 | 活躍 |
---|---|---|
大山巌 | 満州軍総司令部 総司令官 | |
児玉源太郎 | 満州軍総司令部 総参謀長 | |
黒木為楨 | 第1軍司令官 | 奉天包囲作戦の中央右を担当。 |
藤井茂太 | 第1軍参謀長 | |
奥保鞏 | 第2軍司令官 | 奉天包囲作戦の中央左を担当。 |
大迫尚道 | 第2軍参謀長 | |
乃木希典 | 第3軍司令官 | 奉天包囲作戦の左翼を担当。最激戦区となりながらも前進運動を続けた。 |
松永正敏 | 第3軍参謀長 | 奉天会戦直前に、伊地知幸介の後を受けて参謀長に就任。 |
野津道貫 | 第4軍司令官 | 奉天包囲作戦の中央を担当。 |
上原勇作 | 第4軍参謀長 | |
川村景明 | 鴨緑江軍司令官 | 朝鮮半島担当軍であったが、総力戦となる奉天会戦に参戦。奉天包囲作戦の右翼を担当。前進運動を続けた。 |
内山小二郎 | 鴨緑江軍参謀長 | |
秋山好古 | 秋山支隊指揮官 | 永沼挺進隊に行なわせた鉄橋爆破が、ロシア満州軍総司令官クロパトキンの計算を狂わせた。 |
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